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エドワード佐野/佐野義也といっしょに呟きましょう!
  瑣 事 争 論
 
気まぐれメッセージ
趣味人?楽部/ブログ
■貴方の熱いメッセージお待ちしています。■当方、不定期発行の同人誌「天秤」に投稿者のメッセージ掲載の予定です。

 なす  彼岸花  蜜柑  ゆず  柿  ハナミズキ  ガクアジサイ  蜜柑  

◆昔、豪華な百科事典を分割払いで買った覚えがある。役に立つと思い暫くは重宝したものである。今、小さなスマホですべてが調べられる。だから何度かの引っ越しなどの時に、処分したものだ。重いしかさばるし、無用の長物となったのだ。
とってかわった今はスマホが手軽でコンパクトな百科事典だ。味気ないといえばそれまでだが、十分に用は足りている。新進作家の仕事場の映像などをテレビなどで拝見すると、まるでネットカフェの個室みたいな風景だったのを覚えている。いわゆる文豪と言われた人たちの壁際には、資料の書棚がゴミ屋敷のように存在していた。まるで様々なジャンルの百科辞典の倉庫のように。(令和5年10月23日)


◆些事争論も書き始めて何年になるだろう。筑紫哲也の多事争論を真似して始めたことだ。気合がなくなったとでもいうのか、アクティブではなくなったことは確かである。変わったことはたくさんあるのに、自分のことはどうでもよくなってきたようだ。文芸思潮の編集長さんから文筆は続けてくださいなどの励ましをもらったりしていたものです。そして間抜けなことは、筋トレだけではすませず、高価な整体パンツや、姿勢がよくなるタンクトップなどを買いそろえてしまった。笛を吹くための衰えた筋肉を復活するためにしたことでした。これからは、慎重に余生を刻んでいこうと思うこの頃でした。(令和5年5月17日)

◆年度変わって初めての書き込みである。昨年の喜寿コンサートも終わり、一息のつもりが長すぎた。いまから生まれ始めたように、飽きずに入力していこうと思う。多分、様々なSNSなどに参加していたから本来の発信ベースが忘れていったのではないかとも反省している。禁止用語さえ使用しないようにすれば、誰の管理でもない自分自身の好きな勝手なことも言えるというものだ。
  様々な近況変化があった。既に書き込んだものもあるとは思うが、アルバイトはトリプルと忙しがっている昨今である。公民館の夜間職員、調布市管轄の禁煙パトロール(警備会社経由)、故人様を送り出す葬儀社の駐車場警備管理と会葬者接客業務。様々な仕事があるものだと、感じたものでした。本業のデザイン業は、店舗兼事務所も無くなったこともあり、ほぼ休業状態であります。ただ「アートオフィス佐野」は動けるまで、つなげていこうと思います。専門に店番をしてきた亡き妻のためにも。(令和5年4月9日)

◆本日わが生誕の日だ。一介の小僧が命を授かったのもお釈迦様がそうなったのも生誕と言えるのだと思うと、おこがましいがうれしいものだ。77歳、喜寿である。健康で、ときめいた毎日で、大願が成就してと毎朝、先祖と大宇宙神なる自分勝手な存在者に礼拝している。 そしてこの日は、いつものように、書初めをしている。ことしは文字通り「喜寿」。SNSにて沢山のお祝いの言葉をもらった。その中で一番うれしく笑ったのは、血糖値とお腹の肥満を気にしないで、思い切りケーキとか和菓子なんか食べてもいいよと言われたことだ。いまねっとりしたチョコの焼き菓子を食べながら年に2度目の瑣事争論コメントの入力をしている。ついでに部屋の様子もアップしようと、壁に飾った書初めの色紙写真を掲載しました。ご笑覧あれ。(令和4年8月30日)

喜寿5 喜寿6 喜寿3 喜寿4



◆今年、喜寿を迎えるにあたりジムに通い始めた。プールにて水中運動、隣の部屋で何種類かのストレッチ体操器具を使っての筋トレだ。今更どうしたと思いながら、最後のあがきだと苦笑っている。若いころは勢いがあったフルートの音が出にくい、目の前で知り合いが平坦な歩道で転び、顔中傷だらけになった次は自分の番か、自転車操作のもたつきが激しい、朝起きた時の腰痛、等々・・・薬で処方できるものはしているが、老化現象以外の何物でもないと思われることが、目立ってきた。 社会での仕事のオファーはおかげで来ているものの、なくなったらさらに激しい老化現象が現れるのかと思うと、最後のあがきでもと焦るのは間抜けな自分だけだろうか。
  身内の者に最後だけは迷惑をかけまいとしているのだが、流れがそうさせてくれるだろうか。心配をする前に、これだけはやっておきたいことなど、終活に向けての現役最後の仕事を成し遂げたいものである。(令和4年1月23日)


◆来年は喜寿を迎える。いつの間にか薬の数が増えてきている。仲間には、ほとんど薬に縁のないものがいる。腹が立つほど、健康体の爺様、うらやましい限りである。気になるのは、効能欄に副作用なる文言がある。眠くなったり、食欲がなくなったりなどで、厄介な老齢になったものです。
さて喜寿といえば、道楽で続けてきたフルートの演奏を聴いてもらいたいと思っていたのですが、肺気腫にもなり音も出にくくなった昨今、はて、どうしようかと迷い始めてもいるところでもあります。音楽の仲間たちは、70歳の古希コンサートと題して、活躍していた様なので、負けずにと思い立ったのが77歳の喜寿の歳でした。この勢いで余生を過ごせば、ピンコロ人生達成できるかなとも感じる次第です。選曲そのほか師匠とも相談して結論を出そうかなと思っています。(令和3年12月22日)

◆願い事などたててはならない。他者の幸せのみを願えばよいのだと、シュタイナーが教えてくれた。願望など持つのはもってのほかだ。欲望にとらわれれば自由を奪われるからだろう。欲からも自由になること、それが宇宙びとの使命である。「まあいいか」の精神がまだ腑に落とせないでいるようだ。このところ終日、失恋をした時の少年のような日々を送っている。鍛錬が足りないでいる、この歳で。何事も「まあいいか」「どうでもいいか」をキーワードにして余生を送ろうではないか。
(令和3年9月21日)

◆本日76歳の誕生日を迎えた私は10人兄姉の末っ子であります。兄が5人、姉が4人できれいに三年おきに親は子を作った様で、頑張ったものです。産めよ増やせよの時代だったのでしょう、その最後の恥かきっ子が私でした。父はかわいそうに62歳で病死。母は84歳で大往生しました。何とかの子沢山で私の子供の頃はご多聞に漏れず貧困家庭のようでした。
兄姉達は自慢の人格で、立派な人生を送っていたと、身びいきですが思います。ほんの一時期ちょい悪の非行少年は10人中私だけでした。長患いをしていた父親の代わりを担っていたのが兄姉たちでした。特に末っ子の私は、姉たちみんなが母親代わりをしてくれて、学童品や嗜好品やおもちゃなど買ってくれて、兄たちは本などを買い与えてくれました。
我が家が貧困だったと心から思ったのは私が二十歳になるくらいだったろうか。不自由はしなかったようで私が鈍かった、甘えん坊そのものだったからでしょう。
かわいがってもらった記憶は数限りなくありましたが、反面、恥かきっ子を地でいっていた私は、ゴミやくず扱いされていたこともあったようでした。恥ずかしいから姉たちの結婚式には呼ばれずにカットされていたり、大人になって私が結婚をした時の祝い金が、私の嫁に嫌味を言われたほどの、皆で申し合わせた均一少額の額だったりしました。もちろん私が独り者の時には、すでに家庭を持っていた兄姉たちに小遣いをねだりによく行っていたこともあったからでしょう。
「特産品頂き物、これはお前にあげるのはもったいない」など、嫁の前で言われたこともありました。恥をかかされたり、小ばかにされたりしながら、生きてきた感があります。清算すれば彼らからの借金はかなりのものとなったでしょう。督促があった時など、「末っ子の香典にさせてくれ」と私は言い張っていました。心から返せとは言ってこないと知って私は子だくさんの家庭の末っ子の特権だと、開き直っていたものでした。
そして今、ゴミでもくずでもいい、やんちゃな甘えん坊で、みんなを見送って、最後まで君臨していたいと思うようになりました。いま父母を入れて6人が他界している。誕生日の今日、恒例の掛け軸に書初めを新調した。「新生」とたしなめて。
(令和3年8月30日)

新生 復活 復活 復活



◆オリンピック開会式をテレビで見た。開会寸前まで反対するグループもかなりの気合いが入って、いまにも大会中止になるかもなどと気になっていたが、あの大きなセット群や演出を見れば、とりあえず開会式だけでもしなければならなかったに違いないと思う次第だ。陛下の開会宣言も取ってつけたようで、お気持ちを察すると、複雑な思いだった。コロナの猛襲がどうなるかは、あとは知ったことはない、なんて顔をしていた関係者も多かったろう。私などの国民の傍観者は、競技の観戦だけが楽しみの一つになるだけ。それにつけても、やはり反対派が言っていたように、たいそうなお金がかかっているようだ。他の使い道はいくらでもあっただろう。今更気づくのもお笑いですがね。 (令和3年7月23日)

◆ここのサイト「些事総論」も何年になるだろう。SNSが出て来てからというものは、遠ざかってしまっている。原稿を書いたりFTPソフトを使って契約しているサーバーにアップロードしたり等の手間もあるから、ついないがしろになってしまっていた。ただ自己負担で作り上げている発信場所である。何を書いても削除されることはないのだ。最近ではコロナワクチン騒動などは、何度も削除されたページに遭遇したものだ。
初心に帰りしっかりと更新していこうと思うようになった。今は亡き筑紫哲也の「多事争論」の向こうを張って開設した、アートオフィス佐野のメインのページである。大げさにならないよう気を付けて、こと切れるまで(笑い)続けようではないかと覚悟の今日この頃でした。(令和3年7月12日)

◆人生、本日が旬!そんな言葉を聞いた。日々悔いのないように、溌溂と元気に一日過ごすのがいいということと理解しました。脚の裏から腰、逆流性食道炎、親指関節症と下から上まで、病みだらけとなっています(笑)。これも加齢によりまあいいかと甘んじて、短時間だけど毎日、旬と意識しながらアルバイトに通っています。仕事ができること、ありがたいことです。環境と変わりない日々と関係する周辺の人たちに感謝してこれからも過ごしていこうと思うこの頃でした。(令和3年4月20日)

◆若いころから医者もわからずの肝臓の数値γGTPが基準値よりも高いのでいつものかかりつけ医で苦渋の診断で、慢性肝炎と言われたのだ。セカンドオピニオンの考えもあって、ほかの医院に行って再検査してみた。慢性肝炎は消してくれたもののまだ数値が高いのと軽いめまいがしたので頸動脈エコー検査もしてみた。まだ薬処方まではいかないが、脳梗塞予備軍かもということで、あちこち数値が安定するのを待って、処置をするということだった。   脳梗塞だけは避けたいと申し出て何とか頼ることにしている。5月頃に決断をしてくれそうだ。もともとピンコロ人生を願っているだけに身近にそんな患者を診ていると、どうしても避けたい余生である。なるようになるのが正解だとはあきらめているが、すべきことをピンピンと成し遂げて、ころりと翌日にバイバイしたいのは今でも変わらない願望である。せめて最期だけは周りの者に迷惑をかけない瞬間を迎えたいのである。(令和3年3月10日)

◆昨年からコロナ騒ぎで、気がめいっているのは自分だけではあるまい。まるで誰かが煽っているとしか思えない時もあったが、どうやら事態は深刻であります。身の回りでは感染者はいないが、自分が感染したららどうなるのだろうと不安しきりである。報道されていることを最低限守って流れに任せるしかないと思う。加齢によって、若いころできていたことが思うようにできなくなったりしているのは、今テレビにて松任谷由実が言っていたものだ。加齢ではなく、それもひょっとしてコロナの感染からではないのかなども考えてしまっていた。
  令和3年、今年こそは例年のようにと意気込んでもいるが、気候が不気味に変化していき、経済が町が空気が変わってきている。同世代の著名人がなくなって寂しい気分は隠し切れない。これからも特にあらゆるかかわりの出会いに感謝して前向きに生活していこうと思う次第であります。(令和3年1月15日)

◆アルバイトのオファーもしばしなくなった。部屋でストーブを付けてパソコンで動画を見たり、音楽を聞いたりでそれなりの充実したひと時だが、コロナの関係で、全く外出できない高齢者などはマスコミで言われているように、確かにストレスに見舞われるだろうということを実感した。 ありがたいことに自分は何とか社会にかかわる仕事をいただいているが、犬の散歩、例えば、それだけのことだけで日々送ると、一見楽でいいが、ストレスに見舞われると思う。 これからも仕事ができるような健康でいられるように願う次第です。(令和2年10月18日)

◆明日から衣替え。朝晩が寒い。布団も厚手のものに変え、下着も長袖Tシャツです。 そしてガラケーとiPadをiPhone一つに衣替え。部屋の片付けの後、埃だらけだった仏壇、神棚も少し綺麗にしました。家事を始めたらキリが無いよとだれかに言われたことがありましたが本当ですね。あとは心も身体も変えたいけど、ちょっと無理ですね。のんびり変えていく事にしましょう、あと3カ月で今年も終わりです。(令和2年9月30日)

◆毎年書初めと称して、わが誕生日8月30日に色紙にしたためている。例えば「余生充実、健康」とか妻が死んだ年には「成仏」とかであった。今年は、何をキーワードにするか迷っていたため半月遅れてしまった。 今年は「復活」とした。若いころの肉体の復活、亡き人々への代理生命としての復活などいろいろあると考えたものである。何んとかまだ達成できていないつまらない事柄などの成就願望など気力体力再びである。亡き尊敬すべき者たちへの鎮魂の意味も込めてこの一年ふさわしいキーワードになればと思う次第である。 (令和2年9月13日)

復活 復活 復活 復活



◆持続化資金いきなりの振り込みがあった。大いに助かったものだ。大した金額ではないが、アルバイト先の会社などは大変だろう。葬儀会社も亡くなった方は、いきなり火葬場直行で、式など執り行われないのが多くなっている。三蜜回避のためだ。全国規模のところであればなおさら、会式のない売り上げダウンは死活問題に違いない。こちらはアルバイト感覚 だから処分されたらまたほかの仕事を探せばいいだけだ。ただ、そのためにも健康第一。コロナなどにかかったら大変である。そのためにも、目標を立てる。喜寿コンサートを成功させるのであった。あと3年は現役生活をしなければならない。(令和2年6月28日)

◆梅雨寒もあり真夏日もあり、これからは台風とか猛暑日とかが気になるところだ。コロナも依然停滞している気配だ。給付金の方も、申請は済んでいるが本日時点では、まだ返事なしだ。あちこち入金などの話は聞いているので、そろそろかと期待しているところであります。日々売り上げの店舗解体と重なり、コロナ影響での顧客なしはとりあえず大変である。 物品販売はそろそろと覚悟はしていたが、死ぬまでデザイン業などデスクワークだけでも持続していくつもりなので、持続化資金も早急に欲しいところである。こちらの売上台帳など、やや複雑なので事務局では戸惑っている様子のメールは着た。補正完了次第送金通知をくれるというから、のんびり待つことにする。それにつけても警備アルバイトのあった翌日は あちこち節々が痛む今日この頃でした。(令和2年6月20日)

◆仲間の音楽家に古希コンサートを企画するのがいます。自分はそれに啓発されて、喜寿(77歳)コンサートをやろうかと思い立った。77歳といえば、巨匠ランパルの死んだ前の歳だ。それまで生きていればと思うと、少し自信がない。しかもフルートという呼吸器を激しく駆使する楽器である。せいぜい余生を充実するにはこれしかないと考えたものだ。 腕に全く自信がないが、その心意気だけでもと思う次第である。(令和2年5月21日)
        

古希コンサート 2頁 3頁4頁



◆新型コロナ!何が新型なのだろう。基本的に命名を変えた方がよい。ウィルスにへつらうことなどないのだ。悪質で性能の腐った病原体だ。
  いい加減にしてほしい騒動だ。4日たってもおかしければ受診しろというのも、重篤者を増やしたのではないだろうか。風邪かなと思ったら早めの養生が大切だと昔から教わってきたものだ。
  私の近所の主治医は相性などいいのだが、例えば、風邪気味なのですがと言っても、のどなどを見て風邪の症状がなければ、予防のための漢方薬などは、処方してくれない。何につけ大量に薬を出すところは、もってのほかだが、卵酒に代わる、噂のいい漢方を4日待つ間に4分後に飲んでいれば、コロナであろうとスルーしていたかもしれないだろう。
  検査をさせない間に、感染が拡大したかもしれないと思うと、犠牲者はあまりにも気の毒というものである。
  基本的に何かがずれていたとしか思えない。専門者会議とは、何の専門なのか。医療崩壊を防止するために検査後回し、自宅待機は命より医療組織が大切な策としか思えてならないのだ。検査しなければ陽か陰かは不明で医学会は平穏無事なのだから。(令和2年5月6日)

◆ほぼ事務所の選別整理は終わった。後は43年続いた我が道楽まがいの生計を立てていた事務者兼店舗のいわゆる城との別れがあるだけだ。これからもまだ新しい形態で仕事を続ける所存だが、オファーがどこまであるかが問題だ。生活は我が自慢の息子の扶養となるのにやぶさかではないが、 人生終わるまでなるべく負担をかけないようにしたいものである。「老いたれば、子に従え」を素直に受け入れていこうと思うのでありました。(令和2年4月22日)

◆コロナウィルスにより、緊急事態宣言が出されている。フルートのレッスンも休み、ラルゴのシニア合奏団の練習会場も使用禁止のため休みだ。 わが店も5月までに、大家さんに鍵を渡せそうだ。それまでは世の中的にもひっそりとしているから売り上げなどはゼロでいいのだが、断捨離の選別。懐かしい若いころの思い出の品の数々、捨てるかそうでないかの判断がつらい。 書籍はほぼ覚悟ができて選別は終わったが、未練が残る。でも覚悟を変えていたら、引っ越し任せる息子に笑われる。すべて完了するまでは、大変だよ、と知り合いに言われたりしている。コロナ感染の心配やら、立ち退きのストレスやらで、 頭が混乱している昨今であった。(令和2年4月11日)

◆昨日40年間、借りている事務所兼店舗の大家さんが「耐震住居に直す費用がないので出て行ってほしい」と言ってきた。自営業の拠点だ。あちこちからの警備のオファーや、従来からのデザイン、ライター、印刷の仕事も事務所があるから活動できていたのだ。 確かに四隅柱一本で持っているような建物、修繕はこちらでやるといってもたやすいことではない。先方は更地にして有料パーキングにでもするのだろう。自由でいいがこちらは、引っ越しするにもただではできない。 これから立ち退き費用なども踏まえて、もめることの少ないように話し合いで事務所は悲しいかな、閉鎖するつもりである。 この中には自分の全財産がストックされている。油絵関連品、書籍など文学関連品、CDなど音楽関連品。 しかし断捨離をと考えた。いずれ廃棄するものならば、覚悟を決めてもいいのか。余生活動期間は10年あるだろうか。収入源を考えれば、心細いが腹据えるしかないのかもしれない。嗚呼!辛いめぐりあわせか。ただ環境が変わろうと我が本質は変わらないと思えば、流れに任そうかとも思うのですが。 (令和2年2月23日・妻幸子命日)
        

事務所 事務所2 店舗 店舗2

        
◆半年に一度のサイクルで健康診断をしている。家族に迷惑をかけないように健康でいたいと思っている。自分が死んで、何も家族に残せないとわかると、まず浮かぶのが生命保険だ。せいぜい保険で残す以外ないと思っている。
先日以来大騒ぎになった。どこの商品が一番いいとか、たくさんの例を提出させて相見積もりをしたらどうかの意見が出たものだ。散々迷った挙句、きっとどこの商品も同じか似たような補償内容なのではないかと判明した。
営業マンとの相性だとか、有事の時の面倒見の良しあしが如何などの検討をするだけでいいのではないかと感じた。そして毎月の掛け金を抑えていく。その結果、無駄に重複していた火災保険の解約と新規に契約の一本化。
何とかこれで安心して余生を過ごせればいいというところにまでなった。年金と自営業での様々のオファー収入で、生活していく。協力的な家族に感謝を込めて、最後は気持ち分だけでも残せればいいと思っている今日この頃でありました。
(令和2年2月6日)

◆メッセージ何事もなく平和一辺倒であったわけではありません(笑い)。大まかに記録してみると、葬儀社の警備業務が、不安定になったので、近所の警備会社に採用していただき禁煙路上パトロールを週に一回4時間のサイクルでやり始めたところ。
同時にシルバー人材センターに登録して高齢者にできる仕事を選んでやろうと思っている次第です。トリプルアルバイトです。わが商売現役のころは、商店街の宣伝で、三角くじ作成を頼まれてデザイン印刷の後の糊付けを依頼したことなどあったシルバーも今は
自分が受ける立場になったのであります。時の流れは速いものですね。
  またコンビニが提案している、100歳までの事故などの保険、月々990円の掛け金で、入ることにしました。意外なところで転んだり、自転車事故を起こしたりで毎日がひやひやものです。
取りあえずこれで100歳までは一安心(生きていれば)と思いました。
 老いては子に従えと言いますが、出来る限りの自己責任は動けるうちはしたいと思うこの頃です。(令和1年12月17日)

◆災害にて地球規模で満身創痍だ。若い子の大人の責任どうしてくれる、の活動は大いに歓迎で積極的な成功を祈る次第だが、とにかく大人が責任を取って正常の地球にするには、少なくとも我々の生命に限りがある。 取りあえず、頑丈な建物、高台、河川山際などがキーワードになる。それらをクリアするだけでも、大変な仕事になるだろう。流れだから仕方ない、運命とかの言葉も飛び交わざるを得なくなってきそうである。辛く寂しい限りだが、 具体的にできる限りの対策を、国を挙げての課題として推し進めてほしいところだ。

水かさが増す部屋の中で手を取りながら「長い間世話になったな」の会話を残して分かれていった老ご夫婦のニュースが生々しく胸に迫ってきている。何とか災害なき地球に戻ってほしいと願う次第である。(令和元年10月27日)

◆10月3日ラルゴ本番にて、舞台前面にてソロをやってのけた(笑)。厚顔無恥とはこのことだろう。素敵な仲間に恵まれて、大いに余生を堪能しているというものだ。感謝以外の何物でもない。 出し物は、ヘンデル作曲ラルゴ。合奏団ラルゴのテーマ曲である。歌手がソロを受け持つのが一般的だが、前年のクラリネットに代わって、今度は私のフルートでソロを奏でたわけである。 とぎれとぎれのフレーズもなんとか最後まで演奏できてほっとしたものだ。あと何年息が続くだろうか。楽しみでもあるが、寂しさも覚悟しなければならないだろう。必ず終わりが来る、何事も。(令和1年10月4日)

フルートソロ

◆本日74歳になった。先日結果の出た健診もほぼ異常なしだった。それなりの人生74年続いたわけだ。ちょうど漱石のエッセイで、「死ぬまで生きている」との文言を読んだばかりだった。まるで死に対する感慨は何もない文豪の若いころの発想に違いない。 そして「人が死んで自分がいま生きているというのは納得いかない」というようなことも言っていた。自分がいるから世界がある、いなければすべて世界はない。禅問答みたいだが、昨今の若い自殺者の考えにも似ている。私はといえばそんな高尚な気持ちは 少しもなくて、今までの生きてきたことへの感謝と、ただこれから頑張っていくしかないと思う次第である。今後ともよろしくお願い申し上げます。(令和1年8月30日)

◆やはり電気代の支払先自由化が身近に迫っている。知り合いからの紹介だから7パーセントも安くなるならと変更した。そこ迄はあちこち聞いていたのでいいのだが、出てきたのだマルチ商法が。人を増やせば今のうちなら収入が増えるという。 以前ある健康食品のマルチ、ネットワークビジネスとやらを始めたのだが、いずれ本部が閉鎖、そのまま知らんふりの人たちがごった返したというシステムだ。友人を無くすは資金が無駄になくなるはで散々な思いがあった。もちろん、 支払先だけは変えたが、副収入とやらのネットワークビジネスは断ったのであります。よく判断して、気を付けましょう、ネットワークビジネスと詐欺被害!(令和1年8月21日)

◆梅雨が明けたと思ったら強烈な暑さ、猛暑。熱中症は他人ごとではなくなった。74歳といえば、高齢者だ。 来月30日にはその誕生日を迎える。FMでは若者の歌が流れている。ついこないだまで、名曲とやらで自分も歌っていたものだ。 そしてそのうちうまくなるだろうかと願っていた。既に喜寿に近い年になってしまった。仲間や先輩諸氏はどうしているだろう。 しっかりと老後の計画を万全で、ゆとりの生活をしているのだろう。2000万円老後にかかるという。どこにそんな金が自分にはあるだろうか。 ラジオのゲストは、老後のことも考えての活躍に違いない。みなしっかりとしているものだ。そのうちどうなるのだろうと考えても、らちが明かない。 あかないから、これでいいのだと思うようになった。開き直りも高齢者の特権なのだろう。先に逝った方々、羨ましいものだ。(令和1年7月30日)

アパート アパート アパート アパート

◆ここまで梅雨がだらだらと続くと、東西に長いわがアパート、網戸にして通風良くしても、あちこちカビだらけ。寝具もベランダに干せないために、きっとダニなどの異常発生かな、 あちこちかゆくてたまりませんね。一気に天日干しをしたいのですが、来週でしょうか。早く天気にな〜れとテルテル坊主みたいに口ずさんでいる今日この頃です。(令和1年7月23日)

◆いつも楽しく投稿させてもらっているFacebookと関係があるかどうかわかりませんが、Facebookビジネスとやらの誘い文句に、乗ってしまい、「あなたの自営業の宣伝をしてたく さんのリーチを受けましょう」といった、「誕生日のお祝いをしましょう」みたいな乗りで、広告宣伝を誘われ、あとで気が付くと有料だったのです。即刻解約をと試みましたが、不可 能状態。まるで詐欺商法の様です。私の自営業は、不特定多数の依頼は受けられない仕事なので宣伝などもってのほかだったのです。軽いノリで存在だけでも周知されればと思ってい たのが間違いでした。課金請求など来たらあちこち相談して対処するつもりです。自営業の皆さん、Facebook本文での軽いノリでのクリックはしないよう気を付けましょう。(令和1年7月2日)



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